自分の生き方に正解を求め続けた根無し草な孤高の画家!?

こんにちは!
 
ファッション絵師の
Shingoです。
 
 
一体自分はどこへ
向かっているのだろうか?
 
 道
 
進行方向は正しいのだろうか?
 
 
私は寝ている時以外
常時、頭の中で
思い巡らせる事が
ありました。
 
 
それは自然豊かな環境下で
誰にも邪魔されず
一人静かに黙々と
創作活動に励みながらも
悠々自適な生活を
している自分の姿でした。
 
別荘
 
現状の自分の生き方に
不満を感じる中で
私は画家としての
理想の生き方を
意識の外へ
追い求めたのです。
 
 
自分はこの先
画家として
どう生きていきたいのか?
 
画家
 
答えが見つからないまま
私は外の世界へと
正解を求め続けたのです。

 
 
しかし、ある時
自己の内面と対峙した事で
その答えが
見つかったのです。
 
 
それは…
 
 
 

「警備会社でのアルバイトと創作活動の日々」

本格的に
画家としての創作活動を
していくため
まずは生活費と資金を
得ようと警備会社での
アルバイトを始めました。
 
警備員
 
仕事は繁忙期と閑散期が
あったものの
真面目に淡々と
こなしていれば
特に問題はなく
職場での人間関係も
良好でした。
 
 
私は4畳半の
畳敷きの部屋
 
石田真吾
 
住居兼アトリエとして
 
石田真吾
 
絵を描いていました。
 
 
そのような高円寺での
ストイックな生活が
5年半続きました。
 
 
その間
色々と葛藤する日々が続き
 
葛藤
 
私の中ではいつしか
創作に対する
心のわだかまりが
大きくなっていたのです。
 
葛藤
 
そして私は
鬱積した感情を
打破するべく環境を変え
気持ち新たに画家として
再出発しようと
高円寺を離れる
決意をしたのです。
 
引っ越し
 
直感で決めた新天地は
神奈川県茅ケ崎市
 
茅ヶ崎
 
海が見える
のどかな
カジュアルタウンです。
 
 
 

「現実逃避?無計画な行動が招いた茅ヶ崎での隠遁生活!」

心機一転、高円寺を離れ
海沿いの街・茅ヶ崎へと
転居し創作活動に専念する
日々を送りました。
 
茅ヶ崎
 
勢い任せで
暴走機関車の如く
後先考えずに
私は突っ走って
しまったのです。
 
機関車
 
そして、2年間続けた
警備会社でのアルバイトを
辞めた直後
衝動的に引っ越したために
再び無職となったのです。
 
 
暫く引きこもる中で
創作に打ち込みました。
 
 
その後、個展が続きました。
 
石田真吾
 
東京
中野画廊アヴェニュー
での個展
 
個展
 
NY
Ouchi Gallery
での海外初個展
 
 
私は茅ヶ崎にて
画家としての
創作活動を主とする
生活を続けました。
 
絵具
 
創作活動の傍ら
職探しをする中で
東京・蒲田にある
エイジング塗装会社での
採用が決まり
私は新たな仕事を
始める事になったのです。
 
 
これで生活が安定する!
 
 
しかし、そんな折
不動産管理会社からの
一方的な立ち退き要求
を受けたのです。
 
解体
 
・アパートの老朽化に伴う
 耐震強度不足により
 取り壊しが決定。
 
 
その後、すぐさま
次の引っ越し先を
探しました。
 
 
同じ茅ヶ崎市内を考えたの
ですが
ちょうどタイミング良く
横浜・黄金町にて
アーティストや
クリエイターが
低家賃で借りられる
賃貸物件あるという
情報を入手したのです。
↓ ↓ ↓ ↓
マネジメントセンター
 
アトリエ
 
私は直感で次の新天地を
横浜と決めて動きました。
 
 横浜
 
結局
茅ヶ崎での生活期間は
1年4ヶ月足らずでした。
 
 
 

「エイジング塗装業での新たな表現技法の獲得!」

 茅ヶ崎から横浜へと
転居した後
私は当初、横浜・黄金町にて
住居とは別に
アトリエを賃貸で借りよう
と計画していました。
 
 
しかし、思い描く広さの
物件が無かった事と
家賃との兼ね合いもあり
結局
諦める事となりました。
 
妥協
 
しかし
私の中では住居とは別に
アトリエを構えて
創作がしたい
と言う思いが
強くなったのです。
 
創作
 
新しく始めた
エイジング塗装の仕事では
建築・塗装業における
知識と技術を習得し
現場での経験を積む事で
自分に自信をつける事が
出来ました。
 
 エイジング塗装
 
そして、さらには
絵の表現の幅が
広がったのです。
 
 エイジング塗装
 
什器 (じゅうき) への
エイジング塗装をしている
最中、私は
 
もっと自分流に
アレンジした
実験的な創作がしたい!
 
と心中強く思ったのです。
 
絵筆
 
 
 

「自分の絵を描かなきゃ!実家・三重への帰郷」

横浜在住時に
色々なアートイベントを
通して人との繫がり
出来ました。
 
 
そして
エイジング塗装の仕事を
通じて特殊な塗装技術
習得しました。
 
エイジング塗装
 
私には
これまで築き上げて来た
知識・技術・経験を
フル稼働させての
集大成となる大作を
生み出す事で
自分の限界を知りたい
と言う強い欲求
あったのです。
 
強い思い
 
しかし
横浜の住居兼アトリエでは
広さや音・臭いを出す作業
がNGだった事もあり
現実的に大掛かりな創作は
不可能だったのです。
 
 
そして
資金面においても他所に
アトリエを借りる事は
厳しい状況だったのです。
 
 お金
 
 
じゃあ、どうしたいの?
 
?
 
思考にばかり
時間をかけ過ぎてしまい
行動出来ずにいる自分に
苛立ちを感じました。
 
葛藤
 
どうしたらいいんだ? 
 
自己対峙
 
私はこれまで
生活と創作とのバランスを
取りながらも
ただ何となくの環境に
流されて細々と
創作活動をしてきました。
 
 
誰かから与えられる
チャンスをあてにして
待ち続けても
今と同じ受け身のままでは
きっと何も変わらない。
 
葛藤
 
実は現状に安堵している
自分がいて、そもそも
変わろうとしていない
じゃないだろうか?
 
 落胆
 
自分の絵を
本気で描かなきゃ! 
 
やるしかないんだ!
 
爆発
 
心の中のわだかまりが
吹っ切れた瞬間でした。
 
 
私が画家として
生きる意義は
自身の限界が
どこにあるのか?
自分のやるべき事
又は
すべきでない事は何か?
を認識する事なのです。
 
答え
 
正解は画家として
自分に挑む事だったんだ!
 
 
私は心の整理がつき
あしかけ10年間
住み続けた関東を
離れる決心をしたのです。
 
引っ越し
 
社会との接点を絶ち
実家の三重へ帰郷した私は
画家として
創作活動一本に専念する
覚悟をしたのです。

 

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